上野原機械器具工業協同組合創立50周年記念講演(2004年10月)

『上野原とこれからの世界』      帝京科学大学 教授 谷口文朗

結論

①世界平和が維持されること(米中国交回復とソ連共産主義政権の内部崩壊)、

②自由貿易体制が維持されること、

③事実上のドル本位制度が続いてドルがじりじりと安くなること、

④日本が新製品・新サービスの世界的産地となること

という条件の下で、日本は、『資源がないという致命的欠陥を変化への適応を容易にする天与の条件と位置づけて成長と繁栄を続けることが出来る』ということ、そして、『上野原は日本が置かれているこのような条件に適合して発展して行ける』ということであります。

1. 上野原機械器具工業協同組合のみなさん、創立50周年おめでとうございます。この記念式典で講演する機会を与えられ、世の中がバブル崩壊後の構造不況に呻吟する中、着実に発展を続けておられるみなさま方に『上野原とこれからの世界』と題して私の上野原に対する思いを述べることが出来ますことはまことに光栄であります。

 

 

2. 私はこの地に新設された帝京科学大学の第1期生が専門課程に進学した平成4年4月から上野原町松留の大学の宿舎に、平成14年4月からは上野原の新町3丁目みなさま方の中に入れていただいて上野原の木材で建てて頂いた住まいに住みはじめています。

 

 大学に来る前は、昭和34年に東レ株式会社に入社し、毎年の人事調査の中で「営業をやりたい」と言いつづけてきたのですが認めてもらえずに、本社の企画・調査スタッフとして、①トップマネジメント補佐の仕事と、②ソフトコンタクトレンズやセラミックスなど研究開発から生まれる新製品の事業化を本社の立場から支援する仕事一筋に勤めてまいりました。

 

 この間、1979~1980に未来学者ハーマンカーンが主宰するハドソン研究所に留学し、石油価格が30ドルになり、アメリカの公定歩合が13.5%にも跳ね上がって不況が加速した真っ只中でレーガン大統領の登場を見守り、中古の3600ccのシボレーインパーラの故障に苛まれながら、砂をかむ思いでアメリカンライフを経験しました。

 

 

3. 大学に転じる直前の3年間は株式会社東レ経営研究所の設立発起人となり、……と申しましても資本金3億円の調達に走り回ったわけではなく、1円の資本金を自分で拠出したわけでもなく、定款の認証を受けるために公証人役場に出かけたこともないのですが……その産業に根ざしたTHINK TANKの常務取締役・チーフエコノミストとして、東西冷戦・米中国交の発展・石油問題・急激な円高の問題などなど世界の政治経済情勢を分析・評価し、東レ本社にレポートしてきました。

 東レでの最後の仕事は『MADE IN AMERICA』という本を翻訳することでした。この本はノーベル経済学賞を受けたロバートソロー教授をはじめマサチユセッツ工科大学(MIT)の学者を総動員して「なぜアメリカの製造業がこんなに弱くなったのか」という原因と対応策を示し、注目を集めたものでした。

 このことを上野原に来て間もなく商工会で行われた会合で申し上げましたら、この工業協同組合の理事長でいらっしゃった宮田 中さんが是非読みたいと言われ、献本させて頂いたことが思い出されます。

 

4. 本日は、「これからの上野原」を考える上で、今の日本に作用している世界の政治と経済の流れの原点を示し、今後の方向を確認するとともに、その流れに乗って個々の企業が前進するためには何をなさねばならないかを確認し、上野原を念頭において大胆に結論を申し述べたいと思います。

 結論は、「①世界平和が維持されること、②自由貿易体制が維持されること、③事実上のドル本位制度が続いてドルがじりじりと安くなるという3つの条件に、第4の条件、すなわち、④新しいグッズとサービスが次々と日本から生み出され、日本が新製品・新サービスの世界的産地となるという条件が確保されるならば、『資源がないという日本の致命的欠陥とされている条件』はかえって日本の成長と繁栄にプラスなのだ」ということ、そして、「上野原は日本が置かれているこのような条件に適合して発展して行ける」ということを申し上げたいのであります。

 

 

5. 第1は「世界平和の基礎となっている条件」、すなわち「現在の世界政治の本流となっている米中関係」を原点に立ち返って検証することであります。

 

 みなさん、1971年7月にアメリカ合衆国が日本の頭越しに中華人民共和国と極秘会談を行い、ニクソン訪中を発表したことを思い出してください。これまではその経緯を『キッシンジャー回想録』などから憶測できるに過ぎませんでしたが、本年2月に『周恩来キッシンジャー機密会談録』という書物が岩波書店から出版され、質疑応答方式で行われた極秘会談の内容が日本語で手にとるように読めるようになりました。

 

 見事に秘匿された状態で、「中華人民共和国(当時は中共と略称されていた)を訪問したい」という意向をニクソン大統領がパキスタンのヤヒヤカーン大統領を通じて中国に伝達、1971年7月の大統領特別補佐官キッシンジャー博士の一行と周恩来首相とそのスタッフとの会談が実現しました。

 

 ベトナムで激しい戦闘が続き、台湾海峡で米中の緊張が続いていたさ中のことでした。この書物の80ページから1箇所だけ引用します。

 

     周恩来:「キッシンジャー博士は1960年にソ連がすべてのソ連の専門家たちを中国から引                         き揚げたこと、またソ連が契約を破棄したことは知っていましたか」

   キッシンジャー:「私がそのことを個人的に知ったのは1962年です」(1960年7月、ソ                       連は1390人の派遣技術者をわずか1ヵ月あとの8月末にすべて引揚げさせた上、予                       定していた900名の派遣を中止した)。

 

 その後、ニクソン訪中に向けての準備会談が10月にも行われ、ソ連に関する情報がアメリカから中国に極秘ルートで伝達されるようになりましたが、私が注目するのは、1972年1月にヘイグ准将(レーガン大統領のもとで国務長官に就任)がキッシンジャー補佐官とニクソン大統領からの依頼を受けて、「中国国境に110万人ものソ連の軍隊が展開していること」を伝達していることであります。こうしてはじめられた中国とアメリカの話し合いは、国際機関からの台湾追放など多くの難問をクリヤーして1979年1月に正式な外交関係樹立となって結実するのでありますが、実は、中国はアメリカとの国交樹立3ヵ月後の4月に、1950年2月に締結した「中ソ友好同盟相互援助条約の破棄」を決議し、ソ連に通告しているのであります。

 

 「中ソ友好同盟条約」は 1949年10月の中華人民共和国建国直後の1950年2月に、有効期限30年、最初の期限到達の1年前に条約破棄を相手に通告しない限り5年延長される」という内容のものでありました。

 

 この条約は「世界を共産化する」と本気で考えていたソ連の世界戦略に建国間もない中国をがっちりと組み込んだ条約で、ソ連にとって大変意義深い条約であったわけです。「1960年の技術者一斉引揚げ」や私が全日空会長を勤められた「岡崎嘉平太さんの中国報告」(そう魚の刺身の話・リンゴの話)をこの耳で直接聞いたことなどを考え合わせて、この条約は「中国国民の生命と財産の安全確保および中国を繁栄させるという国家目的達成に有効ではなく、ソ連の桎梏から抜け出すことが中国の国益であった」と私は判断しています。

 

 1971年にはじめられた米中会談から8年の歳月を経て、中国は手堅くアメリカとの国交を樹立して、間髪を入れずに中ソ条約を破棄して、国家経営の軸足をソ連からアメリカに移し変えたのであります。

 

 私はアメリカとの外交関係樹立なくして中国はソ連の桎梏から抜け出すことは出来なかった、したがって、中国の現在の繁栄の原点はアメリカとの国交樹立にあると確信しています。今後の米中関係につきましては、したがって、表面で対立は起こっても根本のところでは中国は米国との関係を大切にして行くことは間違いないと確信しています。

 

 北朝鮮がアメリカと対峙して中国の支持を期待しても中国は一切動かないというのが私の目に映るこれからの世界のシナリオです。

 

 

6. 第2は「自由貿易体制が維持される」という条件の検証であります。

 自由貿易の維持・拡大についてはその努力が目に見える形で今も続けられ、その動きが逐一新聞やテレビで報道されていますので、多くを語る必要はありません。ただ、自由貿易とは、単に貿易制限がない、あるいは、関税が引き下げられるということ以上に、「輸入面では品質と価格を考慮して一番安く買いたい相手から工業原料や製品を必要な量だけ買うことができ、輸出面では品質と価格を考慮して一番高く買ってくれるところに日本の製品を希望する数量だけ売ることができる」という実に大きな意味をもっていることを申し上げておきたいと考えます。

 

 多くの方々は資源がないということを日本の致命的欠陥とされますが、私は石油危機の際に英国最大の化学会社が北海の原油に原料ソースを切り替えたあと、石油価格が下がったときに逆にコストが高くなって収益が急激に悪化したという事実を知っています。資源がないということはそれだけ身軽で、産業あるいは事業の新陳代謝を進め易いということなのであります。石油でいえばサウジアラビヤの原油のコストは1ドル以下と言われ、石炭と鉄鉱石でいえばオーストラリアは野天掘りで、地下深いところで採掘される資源と比べるとそのコストには自ずから大差があるわけです。

 

 

7. 第3は「事実上のドル本位制度が続いてドルがじりじりと安くなるという条件の持続性」の検証であります。みなさん、1971年7月の第1次ニクソンショックに続いて1971年8月に第2次ニクソンショック、すなわち、「ニクソン大統領が1ドル=360円の固定為替相場制度の基礎となっている1トロイオンス=31.1035グラム=35ドルという金兌換の政府保証を一方的に停止する」と発表したことを思い出して頂きたいと思います。

 

 洋の東西を問わず、時代を問わず、人間社会は「金=ゴールド」を通貨として用いてきました。なぜでしょうか。それはゴールドが①希少で、時の暴君の錬金術をすべて拒否する力をもっていたこと、②化学変化しないことという2点のためであります。ゴールドではなく銀=シルバーが通貨だったらどのようなことが起こったでしょうか。銀貨を持って草津温泉(ph:2.2)や蔵王温泉(ph:1.5)に入ったとし

ます。銀が硫黄と化学変化を起こし、表面が硫化銀で黒くなってしまいます。銀であることを証明しようとしてそれを磨くと、銀が目減りし、最後に消滅してしまいます。

 

 草津でこの目で見たことですが、鐵で作られた5寸釘でさえ1ヵ月も経てばたこ糸のようにやせ細ってしまうのです。汗水たらして働いて手に入れた財産がなくなっては困ります。ですから、人間社会はゴールドを貨幣として用いてきたのです。

 

 暴君の代表であるジンギスカンはゴールドを作り出せなかった代わりに紙幣を作り出し、紙幣を拒否してゴールドで支払いを求めた人は直ちに首をはねたと文献に書かれています。このジンギスカン紙幣は今の世に通用しているでしょうか。とっくの昔に紙くずになっています。そうです。人間社会が作り出した紙幣はすべて紙くずになっているのです。私が500円で買ってきた100000マルク紙幣は「紙くずの現物」です。というわけで、貨幣は「洋の東西を問わず、時代を問わず」ゴールドであったわけです。

 

 歴史を見ると世界の主要国が通貨の基礎をすべてゴールドに置くという「金本位制度」の時代がありました。この時、政府の介入がほとんどない自由市場経済の花が咲きましたが、ほどなく行き詰まり、世界は工業製品のはけ口を求めて、武力を用いてマーケットを争奪する時代に突入して行きました。

 

 ここでみなさまに1つの分数を思い浮かべて頂きます。分母は「1年間に作り出されるグッズとサービスの合計」、分子は「発行されている通貨の量と1年間の回転数の積」(通貨で表示された取引総額)です。

 

 ここで、通貨がゴールドであった時代は、ゴールドが希少であったがゆえにほぼ横ばいで、取引額を膨らませようとすれば金貨の回転を増やすしかなかったわけです。

 

 一方、分母はどうでしょうか。山梨県立美術館には田園風景を画いたミレーの絵画が揃っています。人々の服装を含めてこの絵に工業製品が画かれているかどうか私は一所懸命に探しましたが、わずかに車輪に鐵が使われているのを見出しただけで、合成繊維やプラスチックは全く見当たりませんでした。当時、繊維はすべてコットン・ウール・シルクの天然繊維でした。

 

 このことの意味は重大です。というのは、金本位制度が見事に機能し、理想的な自由市場経済が世の中に現れたのはミレーの時代であったということです。

 

 分母が主として天然産品の農業生産物で、人間が知恵と技術で作り出した工業製品、すなわち、素材産業が生み出した化学品・鐵・セメントなどの工業製品、あるいは加工組立て産業が生み出した自然の中にはもともと存在するはずがない自動車・カメラ・ラジオ・テレビ・コンピューターといった工業製品は全く見出すことが出来ないのであります。化学肥料や農薬、コンバインやトラクターなど新しく登場した工業製品は天然の産物である農産物の飛躍的増加をもたらしたことも考慮しなければなりません。

 

 こうして近代科学技術の進歩とその工業化によって「世界経済全体の分数」において、分母が非常な勢いで増加したのであります。しかもその取引金額は天然産品より単価が格段に大きいが故に、より多くの通貨が必要とされたのであります。

 

 再び分数に戻って下さい。この分数はグッズとサービス1単位当たりの価格を意味します。分子はゴールドでありますからほぼ一定ですが、分母が非常な勢いで増えると何が起こるか。回転数が高まらない場合の答は物価水準の大幅下落です。回転数が高まると一時的には分子も増加して、分数の値は下落しませんが、誰かがどこかでつまずいたらマネーの流れが止まって、決済不能が発生し、連鎖倒産が続発します。

 

 私は、1930年代の世界大恐慌はこのような事情を背景に起こったと考えています。この問題を打開する糸口は、もの作りを司る分母が「マンメイド」の時代に入っているのだから、マネーを司る分子も「マンメイド」にならざるを得ないということであります。

 

 マンメイドマネーとは「印刷された紙幣」に他なりません。ゴールドだけを信認し、紙幣をことごとく紙くずにしてきた人間社会は、1930年代の世界恐慌とその後に続いた第2次世界大戦を経てようやく「マネーの側でマンメイドマネーが必要なことを頭だけではなく身体全体で理解し、第2次世界大戦の末期に英国のケインズ卿を中心に「国際通貨基金=IMF構想」を打ち出し、戦後に合意するに至ったのであります。その基本的枠組みは

    ①各国通貨は金と兌換されることはなく、ドルだけが1トロイオンス=31.1035グラム=                  35ドルで金と交換される、

    ②そのドルを胴元として、各国通貨は一定の比率でドルにつながる」(円は1ドル=360円                =4DM)

という固定為替相場制度が合意され、戦後世界の復興と発展を支える国際通貨体制が生み出されたのでした。金本位制度の下でも金と1:1で兌換される紙幣がありましたが、この時に生み出された紙幣は「部分的な金兌換を条件とした新しい紙幣」であったということができるのであります。

 

 「なぜドルが胴元となったのか」 それは、アメリカでは国内が戦場になることなく、世界中のゴールドがアメリカに集中し、金兌換の政府保証をつける能力はアメリカをおいて他に全く見出せなかったからであります。

 

 現在、世界は毎日為替相場が変動する「変動為替相場制度」になっています。固定為替相場制度とドルを金と兌換する政府保証が停止されたのは1971年8月のことでしたが、今のような「変動為替相場制度」になったのは1973年2月でした。その間の経過はここでは省略することにして、「変動為替相場制度」になったことの意味を確認しておきたいと考えます。

 

 それはアメリカの国内通貨であるドルがかつての金本位制度の時代のゴールドの役割を果たす「事実上のドル本位制度」が世界中に広がっているということです。ゴールドによる保証を欠いたアメリカの国内通貨であるドルが世界の通貨の中心になり、通貨の3つの機能、すなわち、①価値測定の尺度、②価値保存の手段、③交換手段という3つの機能を世界で果たしているのです。こんな大事な機能をアメリカに委ねることはよくないのでこれに代わる世界通貨を作るべきであると言うのは簡単ですが、世界通貨を目差して1970年1月に世界の知恵を結集して作り出されたIMFのSDR(スペシャルドロウイングライト)は発行額が2003年末で215億SDR=320億ドルで、とても世界で行われている取引の決済に使える量ではありません。

 

 ですから私たちは多くの問題があるのを承知の上で「事実上のドル本位制度」の下で生きて行かなければならないのです。どのような問題があるのか。私は講義の際に「もし貝殻が通貨になったらどうするか」と学生諸君に尋ねています。返ってくる答は「働くのをやめて貝殻を拾いに行く」というものです。全く経済のセオリーに従った模範解答です。今、アメリカは貝殻ではなく、印刷したお金で石油や燃費のよい小型自動車をヨーロッパと日本から輸入し、その支払いに当てることができるのです。

 

 この点について、先に紹介したMITの先生方は『MADE IN AMERICA』のなかで、敗戦国ドイツは“Exportieren oder Sterben!”、すなわち、「輸出かさもなければ死か」を国家的スローガンに掲げて戦後の復興に取り組んだのに対して、アメリカは“Export or see your relative standard of living diminish”、すなわち、「輸出しなくても印刷したドルで支払えるので貿易は赤字になる⇒だからドル安が進む⇒ドル安によって輸入品価格が上昇するのでアメリカの生活水準が相対的に低下する」と述べるにとどまっているのです。アメリカは事実上のドル本位制度についてこのように認識しているのです。

 

 『MADE IN AMERICA』は別のところでアメリカという国について「新しい産業国家アメリカはアメリカ本来の強さはもちろん海外で生み出された最高のアイディアと技術革新をアメリカのために活用できる」(“A vision of new industrial America, a nation equipped to exploit the best ideas and innovation from abroad as well as its own inherent strengths.”)と述べているのです。

 

 この一文は地球上の最高のアイディアと技術革新に関して、「私のものは私のもの、あなたのものも私のもの」と言っているようなものであります。その具体例を示しましょう。

 

 アメリカは北米進出に尻込みしていたトヨタをしてジャストインタイム方式を持ち込ませました。野茂選手・イチロー選手・松井選手を持って行ってしまったのです。なぜこのようなことが可能なのでしょうか。それは「事実上のドル本位制度」のためだというのが私の結論です。「事実上のドル本位制度」は確かに問題がありますが、一方で非常に大きなメリットももっています。メリットを2点示しましょう。

 

 第1は、1987年10月19日にニューヨーク株式市場のダウ平均が一夜にして2246ドルから1738ドルへ、額にして 508ドル、率にして22.6%もの大暴落したことがありました(インターネットで調べたところでは1929年10月24日の暗黒の木曜日の下落率は12%)。

 

 昨今の東京証券取引所のダウ平均が11000円から8500円に落ち込んだと考えてください。明日株式を売って決済資金に充てようとと考えて、株式市場の動向を注意をもって見守っていた人は22.6%もの大暴落が起こったら間違いなく資金繰りに困ってしまいます。「歴史にifはない」のですが、私は「この時にドルの印刷機がフル回転して必要な資金を証券市場に供給し、証券恐慌を回避した。まかり間違えば1929年10月の世界恐慌の再来になりかねなかった」と考えています。

 

 私がこのように考えるのは当時のニューヨークタイムスが次のように述べているからであります。「信用不安を懸念して融資の引上げに動く銀行があった。融資の引上げが長くつづけば証券取引の仕組みが(チェルノブイリ原発のように)メルトダウンする事態が現実に起こったであろう。喉から手が出るほど必要とされた資金は突然の政府の介入によって急遽供給され、事なきを得た。ニューヨーク連邦準備銀行(日本銀行に相当する中央銀行)から市中銀行に対して『証券業界に必要な資金を供給して欲しい。その代わり中央銀行からより多くの資金を銀行業界に供給する』という要請が背後で行われた。その結果、シティーコープ銀行の証券業界への融資は普段の2~4億ドルの水準から14億ドルに跳ね上がった」と銀行頭取の言葉を引用して伝えているからであります。大事なところですから念のために原文を記しておきましょう。

 

The banks reduced their lines of credit in some instances. Had that financing being halted long enough, the real "meltdown" might have occurred.The market's desperate need for money was resolved by ad hoc Government intervention. Behind the scenes, the Federal Reserve Bank of New York stepped in to urge commercial bankers to provide financing to stockbrokers and market makers. In return, the Federal Reserve pumped more money into the banking system.John S. Reed, the chairman of Citicorp, has been quoted as saying that his bank's lending to securities firms soared to $1.4 billion on Oct. 20, from a more normal level of $200 to $400 million, after he received a telephone call from E. Gerald Corrigan, president of New York Federal Reserve Bank.The emergency efforts worked in the end. Now thought is being given to making this ad hoc structure more permanent.-The New York Times Dec.14 1987, D6 Seeking Stronger Safety Net for Nation's Financial System.- より

 

 金だけが通貨であったならば、このような火急の対応は不可能で、世界は金融恐慌になだれ込んで行ったに違いないと私が考える根拠です。「アメリカはこのときに『打ち出の小槌』を振ってドルを作り出し、世界を救った」のであります。

 

 第2は、1997年夏に香港が中国に返還された時のことです。資本は本来臆病と言われていますが、この時、「中国共産党による自由市場香港の支配」を恐れた資本は羽根を生やすがごとく香港やタイなどから飛び去るようにアメリカに還流してアジアの経済が突然おかしくなったことがあります。

 

 このことは、アメリカの貿易収支と資本収支の赤字が続いてドルが垂れ流されることによって世界の経済が保たれる仕組みになっていることを示しています。かつて金本位制度の時代には金鉱が発見されると景気がよくなりました。今は事実上のドル本位制の時代で、ドルがアメリカから流出してくることが世界の景気維持のために必要とされているのです。

 

 再び分数に戻ります。金本位制度の時代は分母は世界全体の生産量、分子は世界経済の中にあるゴールドの量とその回転数の積になりますが、事実上のドル本位制度のもとでは分子は世界に流通しているドルとその回転数ということになります。この分数の値は「物価水準」ですから、分子が分母より常に早く大きくなると物価が上昇して困ります。

 

 しかし、世界の中には高度成長時代の日本がそうであったように、少々物価が上がっても経済が成長し、早く豊かになりたいと願う人々が多くいます。これらの人々にとってはアメリカからのドルの流出は「金本位制度の下における金鉱の発見」に等しい意味をもっています。私が言いたいことは、アメリカだけが印刷したドルで世界から何でも買えるということが現実に起こっているということです(ロシアが印刷したルーブルでは世界は何も売ってくれないからロシアは石油を売ってドルを手に入れています。北朝鮮が印刷したドルは偽札で、世界は何も売ってくれません)。アメリカは『打出の小槌』を手にしているのです。

 

 先の貝殻の話を思い起こすまでもなく、『打ち出の小槌』を手に入れると人間は働かなくなります。その分アメリカからのドルの流出が続き、ドルはじりじりと安くなりつづけるというのがこの問題に関する私の結論です。アメリカの赤字は世界がプラスサムゲームの枠組みの中で成長を続けるためになくてはならない成長通貨供給という役割を果たしているということなのであります。

 

 分け前がいつもプラスであるようなゲームがプラスサムゲームです。競馬はマイナスサムのゲームです。馬券の売上の25%を経費として差し引いて残りを配当しているからであります。

.,lw。あ これまでの人類の歴史は「紙幣をすべて紙くず」にしてしまいました。ドルは果たして紙くずになってよいのでしょうか。答は「断じてノー」であります。だからと言ってドルに再びゴールドの裏づけを持たせるべきなのでしょうか。この答も「断じてノー」であります。

 

 それではドルは何によって値打ちを担保すべきなのででしょうか。ドルの価値を保証しているのは「アメリカの社会システム」であるというのが私の答であります。この立場から2年前の「September11th」を思い起こして下さい。100機もの航空機がハイジャックされ、ホワイトハウス・議会・国務省・ヤンキースタジアム・ウオールストリート・原子力発電所・インターネットを生み出したような軍の研究所……など好き放題にアタックされていたら、ドルは紙くずになりはじめたに違いありません。そうなったら、経済の循環が止まり、混乱と略奪がはじまります。

 

 私はテロへの戦いはドルを、ひいては私たちの生活を守るための戦いなのだと思っています。

 

 

8. 以上が予見可能な将来において①世界平和は維持される、②自由貿易体制は維持される、③事実上のドル本位制度が続き、ドルがじりじりと安くなるという3つの条件は失われないと私が考える理由であります。

 

 ここで第4の条件、すなわち、④新しいグッズとサービスが次々と日本から生み出され、日本が新製品・新サービスの世界的産地となるという条件を検証します。

 

 ここではじめに申し上げました『MADE IN AMERICA』に戻りましょう。MITの先生方が書いたこの本は “To live well, a nation must produce well.” という中学校で英語を習いはじめた時に出てくるやさしい単語ばかりで綴られた明快な文章ではじまっています。その意味は「よい生活をするには国の生産活動がうまく行われなければならない」ということなのですが、読み進むと、「生産活動」とは「工場で行われる生産」だけではなく、

    ①コンセプト=アイディアを着想する機能、

    ②アイディアからプロトタイプを作成するデザインの機能、

    ③量産スペックを確立する開発の機能、

    ④工場で量産する生産の機能、

    ⑤生産された製品の販売機能、

    ⑥販売された製品のデリバリー機能

という6つの機能を総合した経営全体の活動」という大変広い内容で定義されています。

 

 『MADE IN AMERICA』は、さらに続けて、「企業の競争力は、

    ①新しいコンセプトが製品としての形を与えられ、市場に導入されるスピード、

    ②市場の変化に対応して製品を切り換える柔軟性、

    ③納期の短さ

によって決まる」という考え方をはっきりと示しています。このところも大切なところですから、原文を示しておきましょう。

 

 “Our main focus was the nations production system : the organizations, the plant, the equipment, and the people, from factory workers to senior executives, that combine to conceive, design, develop, produce, market, deliver goods and services to the  customer.”(原書3ページ) 

 

 “Competitiveness may hinge on the speed at which new concepts are converted into manufacturable products and brought to market, on the flexibility with which the firm can shift from one product line to another in response to changing market conditions, or on the time it takes to deliver a product after the customer places an order. ”(原書33ページ)

 

 問題は、未だこの世に出現していない新製品と新サービスを着想し、形を与えて市場に持ち込む際に必要とされる6つの機能を日本がこれまで同様しっかりと維持していけるかということですが、日本はこれまでと同様「軽武装」、すなわち国防費に占める軍事費の比率をGNPの1%見当に抑え、主要国より相対的に低い水準を保てる状況にありますので、新製品・新サービスの世界の産地となるのに必要なマンパワーを確保できると私は考えています。

 

 詳細は省略しますが、「軍事費は経済全体から見ると消費」なのであります。国の経済の中で「軍事費という衣をまとった消費が少ないことは国全体として投資が多い」ことの裏返しなのだというのが私の観点です。

 

 発展のエネルギーは消費ではなく、実に投資の中に潜んでいることをみなさま方は日ごろの仕事でよくご存知のことと思います。

 

 

9.それでは上野原はどうなのかが残されたポイントです。上野原がまず問われるのは「新しい製品・新しいサービスを生み出すコンセプトを上野原は持ち合わせているか、あるいは、新しい製品・新しいサービスを生み出すコンセプトを持ち合わせる企業に上野原は繋がっているか」という点であります。

 

 私が上野原に着任したあと、最初に胸襟を開いて「工場見学に来ませんか」と声をかけて下さったのは株式会社サワ社長の佐波 和 さんでした。株式会社サワでは金属加工技術を基礎としてミラクルドアクローザーが生まれています。私はこのドアクローザーを経済産業省の「グッドデザイン賞」に応募されるようにお勧めしましたが、見事一発で「グッドデザイン賞」を獲得されています。ミヤ通信株式会社では世界最小のカメラを用いたデジタル映像記録装置が生み出され、私自身JR 上野原駅の乗降客の全数調査の際にその威力を実感しています。真幸電機株式会社でも会長の菊田一郎さんから音を発する新しい機構を追求されていることを伺っています。

 

 次に問われるのは「新しいコンセプト、すなわちアイディアを形にしてプロトタイプを作り、さらに進んで量産スペックを作り出す技能を上野原は持ち合わせているか」という点であります。

 

 この点については金型と金属加工技術が上野原にはしっかりと揃っていることを株式会社加藤製作所社長の加藤忠亮さん、有限会社坂本鉄工代表取締役の坂本丈一さんから聞いています。難しい仕事が日本を一回りして再び上野原に戻ってきたということを有限会社相模鉄工所代表取締役の波多野裕明さんから聞いています。

 

 次に「生産すなわち量産する能力を上野原は持ち合わせているか」という点ですが、この点については、上野原を本社とする唯一の上場会社の株式会社エノモト代表取締役社長の榎本保雄さん、株式会社市村製作所代表取締役の市村秀雄さんからお話を伺ったりして、発注企業との関係がかつての下請け時代とははっきり違ってきていることを確認しています。

 

 このようなみなさん方の努力が「バブル破裂後の構造不況の最中に工業団地が満杯になった」という事実となって現れたのだと思っています。

 

 以上、私が上野原でお名刺を頂いた現役としてご活躍中の経営者のお話ですが、何はともあれ、「上野原はアイディアを形にする時にどうしても必要な金型と金属加工のプロ集団」でありますから、これからも大丈夫と言うのが私の直観です。

 

 ここでアメリカのナイキという会社のことを紹介します。ナイキはいま述べました6つの機能のうち、①コンセプトを着想する機能、②デザインの機能、③量産スペックを確立する開発の機能はすべて社内に集中し、④生産の機能はベトナムでもカリブ海諸国でもできるところならどこでもよいということにしているのですが、⑤生産された製品の販売と⑥デリバリー機能は自分の手ですべて行なっています。ナイキは人手に委ねているのは生産の機能だけであり、アイディアを形にするデザインの仕事は社内にしっかりと温存しているところを学び取って頂きたいと考えます。

 

 

10. 最後に、50周年という「節目」について、考えるところを申し上げたいと思います。ヤマト運輸という会社があります。この会社は生まれ出るその時から並々ならぬ起業家精神の申し子ともいうべき会社で、大八車と馬車が主力であった1919年に誕生し、「長距離輸送は鉄道・短距離輸送はトラック」を根本方針として自動車輸送のイノベーションを原動力として、関東大震災など襲いかかる難事を乗り越えて成長したのでしたが、戦後の発展のなかで高速道路網が形成され、「短距離輸送はトラック・長距離輸送もトラック」という時代が開けはじめた時に、「自分の成功体験に縛られて時代の変化に適応できず、倒産寸前に陥った」という事実があります。

 

 ヤマト運輸は、後を継がれた2代目社長の小倉昌男さんによる「宅急便への冒険的転換」によって従来にも増してすばらしい成功を収められたのですが、この会社の歴史は「成功体験の中に失敗の芽がある」という経営の難しさを教えています。

 

 どうかみなさん、これまでの成功体験に安住することなく、上野原機械器具工業協同組合 の次の50年の発展に向けて前途を切り開いて頂きたいと念願するものであります。本日はまことにおめでとうございます。ありがとうございました。■TN